小緒里は、歩行者天国の雑踏の中を縫うように走っていた。

腕時計をチラチラ見ると本番前のCM予告編が始まる時間だった。

石橋フミヤの初主演映画は、絶対に見逃せない。

フミヤ君はデビュー以来、爆発的人気のスパ−アイドル。
ツッパっていながら、隠しきれない優しさ、そのアンバランスな所が小緒里は好きだった。

映画は、ビルの最上階。
その建物に着くと真っ直ぐエレベーターへ向った。

運良く扉が開いていた。

眼鏡の女の子が一人だけ乗り込んでいるのが見える。

その女の子と眼が合った。

『開』のボタンを押して、待っててくれるだろう…と思ったのは甘く、扉は無情にも閉まり始めた。

「わあ−っ!待って−!」

小緒里はダッシュした。

「ぐえっ!」

扉に挟まれて、朝食のダイエットサラダが口から飛び出るかと思った。
一旦、扉が開くとその隙に中に滑り込んだ。

「ちょっと、あなた!こっちが来るって判ってたでしょうに!
どうして、閉めちゃうの!?」


小緒里は、低い小鼻を膨らませて詰め寄った。

その迫力に地味な服装のどことなく冴えない女の子は腰を引く。

「ごめんなさい!あなたが来るの見えなかったの。私、近眼で…」

「えっ…?」

「本当にごめんなさい」

言われてみれば、かなり度の強そうな眼鏡をしている。
自分もドの付く近眼なだけに小緒里は、チョットすまない気持ちになった。

「怒鳴ったりして悪かったわ。
実は、あたしもアナタと同じなの。今日はコンタクトなの」


「ホラ」と、ばかりに小緒里は指で両目の下の皮膚を押し下げて見せる。

学校の友達から親しみと言う名のあざけりを込めて、ファニ−フェ−スと呼ばれる顔が一層ファニ−になった。

同年くらいに見える女の子は、クスッと笑った。
その笑顔に小緒里は見覚えがあった。

表通りに面した、ガラス張りの公開スタジオの脇の回転ドアを押すと、憧れのTV局の建物内へ小緒里は、初めて足を踏み入れてドキドキした。

一階から、吹き抜けの二階への階段を昇ると直ぐ左手に洒落たカフェテラス。

窓際で談笑している女性…

《この間、ドラマで見たような…》

右手の広いロビーの床には、チリ一つ落ちていない。

片隅には36インチの大型TVが置いてある。

《さすが、TV局…》

間隔をゆったり取って、配置されたふかふかソファーに腰かける。

画面は生放送で今、通過して来た一階の公開スタジオからだ。
道往く人々が夕暮れのTV局通りに足を止めている。

その様子を小緒里は、ブラウン管を通してだけでなく、裏側から見下ろす事も出来る。

何となく、コチラ側の人間になったみたいで、ちょっぴり優越感めいたものを意識した。

「チャオ!」

愛称を呼ばれて、小緒里は振り返った。

エレベーターでの出会い以来、すっかり意気投合した岡田有希子の笑顔がそこにあった。

「ユッコ!」

ソファーから立ち上がり、フリフリのステージ衣裳姿の有希子をマジマジと見る。

有希子は、眼鏡でなくコンタクトレンズを装着していて、普段着の目立たない女の子とは、月とスッボンだった。

「華麗な変身ってとこね!」

「少しは、見直したでしょ?」

「うん!さすがアイドルの笹くれ!」

「チャオ!!」

「笹くれじゃなかった。端くれね!」

「端くれでも余計よ!」

会えば二人は、いつもこんな調子。

「今日は、頼りにしてます!」

小緒里は両手を合わせる。

「調子いいんだから。
スタジオ見学したいだなんて、どうせ目当ては、フミヤ君でしょ?」


「バレたか!!」

「局内では、いつもの変態じみた行動は慎んでね!」

「ど−いう意味じゃ!」

「とにかく、チョット私の控室で待ってて!」

「ユッコは?」

「リハサ−ル。すぐ戻るから、大人しく待っていなさい!」

控室への道順を説明して、有希子は行ってしまった。

TV局の通路は、入り組んでいて、小緒里は迷って何度も昇ったり、降りたりした。

「地図でも書いてくれれば、良かったのに!」

有希子の不親切さを呪った。

それでも、擦れ違う男女がラフな感じでサングラスを掛けていたり、綺麗だったりすると、何となく浮き浮きして来る。

こういうファッショナブルさは、普通の会社では見られないと思う。

《プロデューサ−に声なんか、掛けられたりしたら、どうしょう?》

《キミ、新人?》

《いえ、スタジオ見学に来ただけです》

《なかなか、いい線いってるねえ》

《そんな、アタシなんか…》

《良かったら、僕の番組に出てみない?》なんて、事には成りそうもなかった!

どの人も忙しそうに立ち動いて、小緒里などには、目もくれない。

「あ−あ… 今日は目一杯、お洒落して来たのになぁ…」

両側の壁にドアがズラリと並んでいる。

《ここらしい…》

各ドア上部にはボ−ドがあって、それぞれ名前が書いてあった。

『中森明菜』様/『田原俊彦』様/『石橋フミヤ』様!!

いきなり、ドアが中から開いて、扉が小緒里を跳ね飛ばす。

「きゃあ!!」

通路の床へ転んだ。

すると、黒ずくめの5、6人の男達がドカドカと出て来た。
全員ナイロンストッキングで顔を隠している。

彼らは、両手両足を縛って、目を隠し、猿ぐつわを噛ませた若い男を肩に担ぎ上げていた。

「フミヤ君!!」

小緒里は驚いて叫んだ。

男達が目配せし合った。
彼女をどうするのか?考えているのに違いない。

《殺される!?》と、小緒里は思い心臓が跳ね上がった。

「待てえ−!」

フミヤ君の控室から、また背広姿の男が一人、苦しげに腹を押さえながら出て来た。

黒ずくめの一団のリ−ダ−格らしいのだが、その男を見て、小緒里に視線を移して舌打ちした。

一団は抵抗するフミヤ君を連れて駆け去った。
小緒里は、ひとまず安堵したがこうしてはいられない。

フミヤ君が誘拐されたのだ!

床に膝を着いている男に足早に歩み寄った。
気弱そうな感じの青年だ。

「大丈夫ですか!?」

「あの、君 、これは?」

小緒里は、彼に言わせずに続ける。

「判ってます!!」

「いや… その…」

「気を落ちつけて!!」

小緒里は、かなり動揺している様子の男を激しく揺すった。

「あなた誰!?」

「僕はフミヤのマネージャーで宇野という…」

小緒里は、まだ肩を揺さぶる。

相手は首をガクガクさせて頷く。

どことなく、中日ドラゴンズの宇野選手に似ていた。

「とにかく、アタシ警察に連絡して来ますから!!」

「そ、そりゃ、マズイよ!君!だって…」

「まさか、警察に知らせたら、フミヤ君が殺されるとか!?」

「そういう事は… その…」

「もう!じれったいわね!」

小緒里は宇野を突き放した。

「わあっ!!」

彼は壁に頭をぶつける。

「110番の判断はお任せします!
アタシは、誘拐犯を追跡しますから!」


言うが早いか、小緒里は駆け出した。

「待ちたまえ!」

宇野の呼び止める声は聞こえなかった。

《まだ遠くには行ってないはず》と、思い誘拐犯の逃げた方向へ駆け出すとT字路に突き当たった。
右は上下階を繋ぐ通路が伸びていて、左は直ぐ非常口だった。

《誘拐犯は外の非常階段を使って逃走したのではないか?
それなら人目につかない…》


小緒緒は左へ行き、非常口の扉を力任せに引き開けた。

「きゃあ−!」

恐怖に頭髪が逆立った。

そこには怪獣が立っていたのだ。

小緒里が扉を蹴り飛ばすと、激しい音を立てて閉まった扉の向こうで悲鳴が上がった。

そして、右に小緒里は走った。
振り返ると怪獣が追って来る。

潰れて開いた鼻の中に人間の顔が覗いていた。

「コラッ!!」

怪獣はぬいぐるみだったのだ。

「ごめんなさい!」と、小織里は走りながら謝った。

こんな事で、時間を潰してはいられずに階段を駆け下りると、踊り場で背の高い男にぶっかった。
その男は拳銃を手にしていた。

「人殺し−!!」

小緒里は夢中で銃を奪い取ると、男に体当りを喰らわせた。

「何するんだ!!」

怒りで赤くなった、その男の顔を小緒里は知っていた。
その男は人気刑事ドラマの主演俳優だった。

「すみません!急いでたので!」

小織里は軽く頭を下げるや背を向けた。

「キミ!拳銃!!」

小織里には彼の声は耳に入らず、フミヤ君を助けたい一心なのだった。

《怪獣に拳銃なんて… 全くTV局って、何が起こるか予測もつかない…》と、思った途端にハッとした。

《ここは、TV局なのだ。
どんな突飛な事が起こったとしても不思議はない。
局の人間やタレント達もいちいち驚くような人種ではないだろう…
だとしたら、例えば黒ずくめの一団がアイドルを担いで表玄関から堂々と出て行くという光景を見た場合、咎め立てする者がいるだろうか?『いない』
と小緒里は思った。

いたとしても、誘拐だとは考え及ばないに違いない。
そういう盲点を衝いて誘拐犯達は、大胆な行動に出たかも知れない…。
小緒里は表玄関へ急いだ。

「黒ずくめの男達…ですか?」

表玄関の受付嬢は怪訝そうに聞き返した。

『フミヤ君が誘拐された!』と言う台詞が出そうになるのを小緒里は、喉元でこらえた。

《誘拐犯の出方が判るまでは、迂闊には話せない…
余り多くの人に知られてしまうと、それだけでフミヤ君の身に危害が及ぶ…》

そんな気がしたからだ。

とにかく、表玄関からは出て行ってないらしいと判った。
だからと言って、どうして良いかは判らなかった。

辺りを見回すと、硝子ドア越しに玄関の車寄せの前に立つ制服姿が目に止まった。

《ガ−ドマンに話せば、きっと何とかしてくれるわ!
どうして今迄、気付かなかったのだろう》


小緒里が駆け寄ろうとした時、出し抜けに腕を捕まれて恐怖に全身が総毛立った。

腕を捕まれた男は宇野だった。

「驚かさないで下さい!」

「こっちへ来たまえ!」

「今ガ−ドマンに話そうかと…」

「駄目だ!!」

宇野は強い口調だった。

「何故です?」

「いいから、来るんだ!」

宇野は小緒里を強引にフロアの隅の方へ引っ張って行く。

《この男… 最初から怪しかったが…》

小緒里は何か肌寒いものを感じた。

「よく聞きたまえ!!」

「待って!あなた本当にフミヤ君のマネージャー?」

「な、何を言ってるんだ!?
本当に決まってるじゃないか!!」


「では何故、うろたえるの?何故です?」

小緒里は何か肌寒いものを感じた。

「ならフミヤ君は、あん饅と肉饅とどっちが好き?」

「何だよ、それ?」

「答えて!マネージャーならば知ってるはずよ」

「いきなり言われも…」

「知らないのね」

「いや!チョット待って!
あん饅… いや… 肉饅だったかな…・」


「どっちよ!?」

「肉饅… そう!肉饅だよ!」

「あなた一体、何者!?」

「へっ…!?」

「フミヤ君が甘党なのは有名な話よ!答えはあん饅よ!」

「肉饅も美味しいって言ってたんだぞ!」

宇野の顔が鬼のようになって、愕然と小緒里は直感した。

「グルなのね!あなた誘拐犯の一味だったのね!」

その時、近くのエレベーターの扉が開いた。

「ここに居たぞ!!」

怪獣と刑事ドラマの主演スターが出て来た。

小緒里は、宇野を思い切り突き飛ばして、咄嗟に拳銃を構えた。

「動くなっ!!」

反射的に全員が手を上げた。

その隙に小緒里は、地下への階段へ駆け出した。

「あれは、玩具だった」

スターがやっと気付く。

「誰か!その子を捕まえて!!」

宇野が叫んで、血相変えて追う。

小緒里は、地下通路をめちゃくちゃに走った。
人数を増やして追手が迫る。

通路の前後は塞がれていて、壁に鉄扉があった。

「あそこだ!!」

そのノブに小緒里は手をかけた。

「わあっ!入るなっ!」

宇野が叫んだが、小緒里は無視して中へ入った。

小織里が忍び込んだ瞬間、暗がりで分からず、正面に何か箱状の物がそびえ立っているのが判った。

《倉庫だろうか…?》

その中から、ゾロゾロ人間が出て来た。

顔にナイロンストッキング!!

《誘拐犯達…!?、では、あの倉庫の中にフミヤ君が…!?》

小緒里は、気付かれない様に近付いて行くと何かにつまずいた。

拳銃を取り落として、高い反響音がこだました時、誘拐犯達がピクンと振り返った。

《こうなったら…!》

小緒里は彼らの中へ突入した。

「わあっ!!」

驚いた誘拐犯達はひっくり返る。

倉庫のドアを開いて、小緒里は中へ滑り込んだ。

殺風景な室内で粗末な椅子にフミヤ君が腰を掛けていた。

「あぁ、愛しのフミヤ君は無事だった!」

「君は…?」

「助けに来ました!」

「誘拐犯は捕まったのかい?」

「いえ、まだ…この外に」

「じゃあ、早く逃げよう!」

フミヤ君が男らしく、小緒里の腕をとった時、彼女の体内に電流が走った。

《このまま死んでしまいたい!》

小織里は、危険な状況である事も忘れてボ−ッとなった。

と、その時、床はそのままで天井と四方の壁がスーッと上がって行った。

フミヤ君が守るように小緒里を引き寄せた。

周囲が黒い幕に変わったのも束の間、それも一気に上方へ上がると突然、まはゆい光が降って来た。

全てが大光量の照明の下に浮かび上がった。
その場所はスタジオだった。

そして、客席から女達の凄まじい悲鳴と罵り声が沸き起こった。

それは、フミヤ君に寄り添っている小緒里に対するものだ。

ディレクターやカメラマン達スタッフが頭を抱えている。

調整室では、チ−フディレクターらしき者の首をスポンサーらしきス−ツ姿の男が絞めていた。

《何かとんでもない事をしでかした》

その事だけを小緒里は自覚していた。

小織里は、救いを求める様に辺りに目を走らせると、困惑顔の司会者の近くに有希子が立っていた。

両こめかみを押さえて、呆れた様に首を振っている。

有希子は口を開いて、小緒里は有希子の唇を読んだ。

「何…? ナ・マ・ホ・ウ・ソ・ウ?」

一瞬、判らなかった…。

「生放送!!」

そう叫ぶなり、小緒里は逃げ出そうと急激に体を動かした。

「わあっ!!」

抱き合っていたフミヤ君と重なったまま、床へ倒れ込んだ。

「キャ−ッ!!」

「あたしのフミヤ君に!許せないっ!」


客席から、女達が殺到した。

そして、止めに入ったスタッフ達もが踏み潰される。

そこへ、小緒里を追って来た者達まで、雪崩込んで来てスタジオ内は、騒然となってしまった…。

後日、TV局内のカフェテラスで小織里と有希子の二人はお茶を飲んでいる。

「あのマネージャーさん教えてくれなかったんだもん」

小緒里は、むくれていた。

「宇野さん、何度も言おうとしたけど、チャオが言わせなかったって」

有希子が笑って答えた。

あの日の生放送はどっきりカメラだった。
有希子をはじめ、タレント達は収録済みで驚きや感想を述べるという趣向だった。

そして、フミヤ君だけは本番で誘拐劇のどっきりが行われた。
彼は事前に知らされていないから、ビックリ!

誘拐犯のアジトという想定のセットの倉庫に閉じ込められた所から、カメラが回り始めて、フミヤ君の反応は生でお茶の間へ伝わっていたのだ。

そこへ乱入したのが、小緒里だったという訳だ。

「あたし学校の恥よ。石投げ付ける友達もいるんだから!」

「TV局は大喜びよ!プロデューサ−なんか、局長賞まで貰ってホクホク。
あの週の最高視聴率だもの!」


「スタジオ見学なんて、二度としないんだから!」

「あら、残念ね…」

有希子が意味ありげに微笑んだ。

「何よ?」

「今度のバラエティーの公開録画、見に来て欲しいって」

「誰が…?」

その質問に有希子は声を出さずに、口だけを動かした。

「何、何…?フ・ミ・ヤ・ク・ン…フミヤ君!?」

小緒里は有希子の手をつかんだ。

「ユッコ!あたしね… スタジオ見学って、大好き!!」


THE END





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