「うぅ、もう駄目…」 小織里は、死にそうだった… お腹が一杯で。 下校途中、女の子同士でハンバ−ガ−ショップへ寄った後は、いつもこうなる。 食べながらのお喋りは、取り留めない女の子の事で次々と話題が変わる。 とは言え、今日の話は例の『英作魔』の事が中心だった。 英作魔は、塾帰りなどの高校生を夜道に襲う。 いきなり後ろから、ライトを消したポケバイで接近して来て、鞄を引ったくって、逃げると、それを被害者が後で発見しやすい場所に捨てて置く。 何も盗らない。 ただ、鞄の教科書に英文で脅し文句を書き残して行く。 『夜道に気をつけろ』 『二度ある事は三度ある』とか、つまり『また襲うぞ』と言う意味だ。 小織里の学校でも、三人犠牲者が出た。 どの生徒もノイローゼ気味だという。 もっとも小織里は、そんな話など殆ど聞かずにカウンターの方ばかり盗み見ていた。 《あの人 素敵…》 「いらっしゃいませ」って言う時の白い歯が眩しい。 《ちょっと愁いがある所もいい》 胸のバッジから、名前だけはバッチリだけど… 「大学生なのかしら?森田さんて…」 そんな事ばかり、小織里はボケ−ッと考えながら、しかし手と口だけは、しっかり動かして気付いた時は遅かった。 ハンバ−ガ−2個、ポテトフライの大とコ−ルスロ−サラダ2個、ラ−ジサイズのコ−ラは、すっかり可愛い胃袋の中に収まった後だった。 《ダイエット中なのに…》と言う訳で肉体的苦痛に耐えながら、小織里は一人ダラダラと夜道を歩いているのだった。 下り坂の途中だった。 背中に何かゾクッとする気配を感じて、小織里は振り返った。 黒い影が『グワ−ッ!』と迫って来る。 「キャァ−ッ!!」 足をすくませ反射的に顔だけは鞄で被った。 その鞄を影は引ったくった。 風が起こって制服のスカ−トを捲り上げる。 突如、ペダルをキックする音がしてエンジンが吠えた。 引ったくりは、バイクに乗っている。 襲撃を気付かれない様に今迄エンジンを切っておいたのだ。 そのまま小さなバイクは、坂を一気に下って行く。 「英作魔だわ!」 ムラムラと怒りが込み上げて来た。 「許せない!!」 小織里は直ぐに追う。 駆け出して小織里は、気付いた。 夜の住宅街がボヤけて何にも見えない。 英作魔がぶっかって来た時にコンタクトレンズが擦れてしまったらしい。 でも走り出したら止まらないのが下り坂…。 不運な事に胃袋のハンバ−ガ−の重量が祟って、ドンドン加速する。 「だ、誰か止めてえ−ッ!」 もう『英作魔』の追跡どころの騒ぎではない。 このまま行って、次の十字路で左右から車が飛び出して来たら一巻の終わり。 その時、天の助けか… 後ろから迫る靴音の響き。 ところが、靴音の主は小緒里を無視して、脇を駆け抜けて行こうとする。 殆ど見えないが男の様だ。 《女の助けを呼ぶ声に知らんぷりなんて…!》 「ええ−い!!」 小織里は、前へ出た男の背中めがけて跳んだ。 助走が十分過ぎたから堪らない。 「わぁっ!!」 悲鳴を上げ男は、小織里を背負ったまま『ドド−ッ!』と突んのめる。 『キキイ−ッ!!』と急ブレーキの音。 「助けてえ−!!」 小織里と男のデュエットの叫び。 ドシン!! 横道から徐行で出て来た車のドアに男は激突した。 弾みを喰らって、小織里は車の屋根に乗り上げた。 赤い灯が回転しているパトカーだった。 中から慌てて警官が出て来る。 泡を吹いて失神している男の元へ駆け寄って警官は叫んだ。 「山下刑事!」 それを聞いて小緒里も気を失った。 「昨日は、ごめんなさい」 警察署近くの喫茶店で小織里は、山下刑事にペコンと頭を下げた。 「気にしない。この次、絶対に捕まえるよ」 柔道の山下六段に似た顔をほころばせて山下刑事は言う。 おでこに車のドアの取手の跡がくっきり浮かんでいる。 「英作魔の捜査要請は、校長先生からでね」 「へぇ−、あの戸締りオジサンが…」 「戸締りオジサン?」 「そう校長先生って、凄く戸締りにうるさくて、夜は校舎を完全密閉しちゃうの」 「防犯上、実によろしい」 「それで、この間、宿直の先生が窒息死しちゃったんです」 「殺人じゃないか!?」 「冗談!」 小織里はクスッと笑った。 相手が真面目なタイプだと直ぐからかいたくなる。 山下刑事は、「コホン」と一つ咳払いをすると、「ところで…」と改まった口調で切り出した。 「君には、これが判るかね?」 山下刑事は、小織里の数学の教科書を開いて見せた。 開いたペ−ジいっぱいに『Miafortunes never come alone』と赤い文字で書いてある。 「血だあ−!」 小織里は、一瞬ドキリとしたが直ぐにそうでないと判ってホッとした。 「なあ−んだ」 「ほう、判るのか?」 山下刑事は、ちょっと驚いた様子だった。 「トマトケチャップね!」 「そっちじゃない。英作文の意味だ」 「あたし、英作はどうも…」 「制限時間は10秒」 「そんな!」 「10、9、8、7…」 「わぁっ!え−っと…、ミスフォーチュンは、フォーチュンの否定だからして… その…」 「ブ−ッ!、時間切れ!」 「いきなりだもの…」 「正解は… ハイ!山下さん!」 山下刑事は、自分で言って「泣きっ面に蜂!ピンポ−ン!!」 「か、かるい…!」 謹厳そうな山下刑事の意外な一面に小織里は、呆気にとられた。 「君のお蔭で捜査は振り出しに戻ったよ」 「どういう事ですか?」 「今迄、被害を受けた子達には共通点がある。成績優秀というね。英文メッセージも読んだ途端に訳せた子達だ」 「ところがアタシは、違うと言う訳ね」 落ちこぼれと言われたようなものだ。 実際、そうであっても小織里はカチンと来た。 「まぁ、とにかく夜は十分注意する様に。 泣きっ面に蜂って言うのは、不幸に不幸が重なるという意味だからね」 「それ位、知ってます!」 小織里は席を立った。 「あたしはノイローゼになる程、勉強出来ませんから御心配なく!」 舌を突き出してやりたかったがそれは止めた。 《こうなったら、あたしが英作魔を捕まえて山下刑事のアノ低い鼻をあかしてやる》 そう思いを決めて小織里は、喫茶店を出た。 小織里は、犠牲者の一人でクラスメイトの遠藤敬一から事情聴取しょうと校舎の廊下を走り回っていた。 というのも、遠藤が授業中、休み時間を問わず教室とトイレを往復しっぱなしだったからだ。 英作魔に2度も襲われたショックから、神経性の下痢に悩まされているらしい。 あまり彼が使い過ぎるので、学校のトイレの調子まで可笑しくなったという。 「も、漏れそう!」 悲痛な声を上げ遠藤は、アタフタと駆ける。 「襲われた時の話… 後ちょっとだけ!」 小織里が息を切らして追い駆ける。 「わ−ん!こんなんじゃ、T大なんて受からないよ!」 小織里は、ハッとした。 「今、何て言ったの?」 遠藤の首根っ子を押さえる。 「T大って言ったのね?」 「で、出ちゃう〜!」 「後の二人もそうなの?」 遠藤は必死で頷く。 「これで判ったわ!」 小織里は、押さえていた遠藤の首を放した。 そして、遠藤はトイレに走り込んだ。 あの日、小織里はハンバーガ−ショップで冗談だが『T大受験する』と口に出して言って、襲撃はその帰り道であった。 あの時、英作魔は店に居たのだ。 理由は判らないが、英作魔はT大を受ける高校生を目の敵にしている。 それで、小織里のホラ話を本気にして、尾行して襲ったと考えれば、つじつまが合う。 となると、ハンバ−ガ−ショップの常連に違いない。 高校生達の会話を盗み聞きして、標的になる者を物色していたのだろう。 そう推理した小織里は、学校帰りにハンバ−ガ−ショップへ走った。 また、ちょっと浮き浮きした気分だった。 「常連の事は、森田さんに教えて貰おう。 これで話のキッカケが出来る!」 などと、不純な事を考えていたからだ。 んでもって、「じゃあ、僕も手伝おう!」なんて彼が言ってくれたりして。 しかし、森田は早番だったらしく、店には居なくて、代わりに嫌な奴が居た。 「刑事さん!」 「は−い!チャオ!」 山下刑事は手を上げた。 「ニックネームをどうして?」 「学校の友達から聞いたんだよ。チャオちゃん!」 「気安く呼ばないで下さい」 小織里は、頬を膨らませたて、山下刑事はニヤニヤしている。 「君、なかなか鋭いな」 「何がですか?」 「だって、森田が英作魔だと睨んだのだろう」 「え−ッ!?」 小織里の声が店内にびんびんに響いた。 「騒音罪で逮捕するぞ」 「まさか、森田さんが…?」 「残念でした。彼にはアリバイがある」 小織里はホッとした。 「トマトケチャップの文字から、ハンバ−ガ−ショップのアルバイト店員に結び付ける。 そりゃ、君、素人の発想だよ!」 山下刑事は、笑ってみせる。 「その素人を発想したのは、どっちよ?」 小織里は、一発喰らわせてやりたい気分だった。 「虚ろな笑いね!」 「グサッ!」 山下刑事は胸を押さえて、よろめく様に店を出て行った。 日曜日の夜になってしまった。 「どうせ訪ねるなら、制服なんかじゃなくて、チョットお洒落して…」 なんて考えて、着て行く服をあ−でもない、こ−でもないと、取っ替え引っ替えしているうちにいつしか、相撲中継も結びの一番が終わったりして…。 で、何の事はない軽薄な子に見られない様にと平日と同じ服装にした。 小織里は、この間、襲撃を受けた坂を今度は登って行った。 森田は、この辺りの『めぐみハイツ』と言うアパ−トに一人住まいしている事を店の人が教えてくれていた。 登り坂の半ば辺りに差し掛かった時に小織里は、背中に神経を集中した。 《誰かが尾けて来る!英作魔に違いない…》 不幸がもう一度、訪れる事を思い知らせようとしているのだ。 しかし、今日は学校帰りではなく、鞄は持っていないのに鞄が目当てでないとしたら…? 小織里の体中を恐怖が駆け巡ぐり、振り返りらずに走った。 尾行に気付かれた為に慌てたらしく、後方で靴音が乱れた。 尾行者の敵も必死なのか、靴音高く食い下がって来る。 小織里は、坂を登り切った道の角に武器を見つけた。 「これでも喰らえ−ッ!」 それらを坂の方へ蹴り出した。 ポリバケツ5、6個が坂をゴロゴロ転げ落ちて行く。 ゴミが詰まって重いから凄いスピ−ドだ。 尾行者は慌てふためいて、避け切れないとみたのかクルリと向きを変えて、坂道を死にもの狂いで駆け下り始めた。 そして、小緒里は素早く、その場を離れた。 敵は戻って来るかも知れないのだ。 「わっあ…!」 坂の遥か下方で悲鳴が上がり、何処かで聞いた様な声だった。 「ここだわッ!」 めぐみハイツを発見した小緒里は、その外階段を駆け上がって、森田の表札のあるドアを強く叩いた。 「あの…、突然で驚かれたとは思いますが、あたし今、悪い奴に追われてて…!」 小織里は急き込む様に言って口をつぐんだ。 シュ−ズラックの脇にポケバイが立て掛けてある。 「どうした?」 居間から、もう一人現れた。 小緒里は息を呑んだ。 《全く同じ顔!双子…!?》 「その子、捕まえろ!」 2人目の森田が切迫した様子で叫んだ。 「あなたね!英作魔は!」」 「何してる!早く!」 2人目にもう一度、言われて1人目が小緒里の腕にさっと手を伸ばした。 「何をすんのよ!」 小緒里は、男の手を払い退けるやドアを思いっきり蹴飛ばして、外階段を転げ落ちる様に走り下ると住宅街の道に出た。 恐怖にかられて、やみくもに走った。 心臓の鼓動が耳にハッキリ聞こえる。 何度も路地へ逃げ込んだ後、いつしか見覚えのある塀に疾走していた。 出し抜けにポケバイが突っ込んで来て、小緒里は塀に跳び着いて、そのまま内側へ転がり込んだ。 「なんだ… うちの学校じゃない!」 双子が塀を飛び越えて来た。 小緒里は、夜の校庭を逃げ回ったが、次第に明かり一つ見えない校舎の方へと追い詰められた。 身を守る武器を探して、辺りに目を走らせる。 玄関扉の脇に横たわる終い忘れた竹箒を見つけると、拾い上げて、剣の様に持って、前へ突き出すとハッタリを噛ました。 「これでも剣道三段なのよ!」 双子は、ギクリと動きを止める。 《ここは、一か八か強気に出るに限るわ…》 小織里は大声を張り上げた。 「何故、あんな事したの!?」 双子はビックリして、身をすくませる。 「だって… もう浪人3 年目なんだもん。僕ちゃん達… グスン…」 「ぼ、僕ちゃん!?」 小織里は、開いた口が塞がらない。 「今度こそ、兄弟揃ってT大に入れないと、ママが…もう私の子じゃありませんって…」 「それで、少しでもライバルを減らそうと…」 「ねぇ−ッ」 森田兄弟は顔を見合わせた。 小織里は、ワナワナと震えて顔が真っ赤だ。 「ど、どうしたの…?君…?」 双子は怯え切って後ろに下がる。 「ぼ、暴力はいけないって…ママが言ってたよ。 僕ちゃん達は、ただ話し合いを…」 小織里の怒りが爆発した。 「何が僕ちゃんじゃあ−!このマザコンども!」 竹箒がうねりを上げて、夜気を引き裂き、双子はうろたえて転倒すると、小織里の手から竹箒がスポッ!と抜けた。 「あらっ…?」 『パリンッ!』と玄関扉の硝子が割れた。 と、何故かそこから、水鉄砲を射ったみたいに勢いよく、水が吹き出して来た。 「な、何よ?これ!?」 ピシッ…ピシッ…! ガラス全体にたちまち亀裂が走る。 ガシャ−ンッ!! 玄関が吹き飛んだ。 ドドドドォ−ッ!! 「うっそぉ−ッ!?」 絶叫と共に小織里は、森田兄弟もろとも大洪水に飲み込まれた。 「時々、ある事らしいんだな」 山下刑事は言った。 「水洗トイレのタンクの取手が捻った後、元に戻ってなかったり、排水管が詰まり気味だったりした時にね。 おまけに校長先生が厳重に鍵を掛けとる。 溢れた水は、出口を失い土曜から日曜にかけて、校舎内に溜まっていたという訳だ。 まぁ、しかし、これは遠藤君の怪我の功名と言うべきかな」 さも愉快そうに笑うと山下刑事は、ハンバ−ガ−を頬張る。 「あたしは、どうなんですか?」 小織里は、腹が立って仕方がなかった。 散々、怖い思いをして、トイレの水でズブ濡れになった揚句に笑い者にされたのでは堪らない。 「勿論、チャオちゃんには感謝してるよ。 だから、こうしてハンバ−ガ−をおごってるんじゃないか」 「この店のメニュー全部、食べてやるんだから!」 「おいおい!お腹壊すぞ!」 「財布の中身が心配なんでしょ?」 「うッ…」 「ところで、あの二人、メッセージをなんで、わざわざ英文に?」 「単語を覚える為だったそうだ」 「呆れた…」 「しかし、双子で工作してたとはな…」 「森田兄弟どうなるの?」 「どの被害者も訴えるつもりはないと言ってる。 本人達も十分に反省してるしな」 「じゃあ、あの洪水と同じ様に全て水に流すって訳ね」 「上手い事、言うな」 「それにしても、あの夜、あたしを尾けて来たのは誰だったのかしら?」 「わたしだよ!」 「えっ!?」 「君をずうっと護衛してたのだよ。 痛かったなぁ!ポリバケツ!」 「あ、あの…山下刑事…」 「なんだね?」 「それも水に流しましょ…」 小織里は悪戯っぽくウィンクした。 THE END <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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